ディスコ、または、ディスコテーク。
音楽を流し、客にダンスをさせる飲食店。時には人妻生バンドが演奏する場合もあるが、語源から言っても、ほとんどの場合はレコードを流す。
選曲や曲紹介を行うDJがいて、現在のクラブ音楽でディスコと言う場合は、かつてニューヨークに存在した伝説的な人妻・ディスコ、パラダイス・ガレージ、ギャラリーなどでプレイされていた様々なジャンルの音楽、またそれらのディスコでのDJの特異なスタイルを指し、今現在でも様々なスタイルに変化しつつ、未だに進化を続けている存在であり、現在ガラージュと呼ばれる音楽の元となったものである。
しかし現在の日本の流行はクラブという形態に移り、一般的にディスコといった場合、過去に存在していた飲食店や人妻風俗のことをいう。
ディスコの語源となったのはフランス語のdiscothe`que(ディスコテーク、または、ディスコテック)で、マルセイユの方言で「レコード置き場」の意味だった。
第二次世界大戦中に生バンドの演奏が困難となったナイトクラブでレコードを代わりに掛けるようになったのが始まりであり、第二次大戦後にパリにラ・ディスコテークと呼ばれるクラブが出現したことにより定着した。
この人妻生バンドの代わりにレコードを掛ける「ディスコ」(もしくはクラブという形式)が本格的な発展を遂げたのは60年代以降のアメリカのニューヨークの人妻・シーンである。
客層は人妻の黒人・ヒスパニック系などのマイノリティが主流であり、掛けられる音楽はファンクやソウルミュージックや特にフィラデルフィア・ソウルと呼ばれる滑らかなリズム・アンド・ブルースや、それらをベースにした音楽であった。
こうしたディスコは人妻のための発展場としての役割とアンダーグランドな黒人音楽の発展の場としての二つの面を持っていた。
こうしたディスコとして有名なものにパラダイス・ガレージ、セイント、フラミンゴ、ギャラリーなどが挙げられる。
いずれもゲイの男性を対象としたメンバーズ・オンリー(女性や非メンバーはメンバーのゲストとして入場する事ができた)のディスコであり、ニューヨークでも特に進んだファッショナブルで流行に敏感なゲイの男性たちが集まっていて、流行の発信地でもあった。
この中でもっとも有名で、後世に影響を与えたのがパラダイス・ガレージとそのメインDJ、ラリー・レヴァンである。
現在のクラブ音楽の基本的パターンである、DJがヒット曲ではなく自らの個性を発揮した選曲で独特の世界を作り上げて客を躍らせるというスタイル、二枚のレコードをミックスして継ぎ目なくレコードを演奏するスタイル、既にある曲をリミックスしてダンス向きにする手法、家で聞くためではなくクラブで掛けるためだけに製造される12インチのシングル盤といった形式などはこの時期に前記のラリー・レヴァンやエンジニアのウォルター・ギボンズ達によって確立された。やがてラリー・レヴァンやフランソワ・ケヴォーキアンなどの有名ディスコDJ達はレコードを発掘するにとどまらず、自らダンスのためだけに特化したレコードを、プロデューサーとして多数リリースしたり、リミックスを手がけるようになる。ダンスフロアとダンサーの心理やツボを知り尽くした彼らは、それまでの音楽プロデューサーが思いもよらなかったような様々なテクニックやスタイルを導入した。
こうしたダンス・レコードをリリースしてディスコ文化を支えたレコードレーベルとしてはサルソウル、カサブランカ、ウエスト・エンドなどが挙げられる。
やがて人妻が社会的に認知されると社会の多方面に大きく進出すると同時に、このディスコ音楽も表舞台へと登場し、人妻以外の一般のリスナーにも聞かれるようになった。
1970年代にはアメリカのテレビ番組であるSoul Trainの人気が沸騰した影響で、ほぼ同時多発的にディスコ・ブームが世界的に巻き起こり、大都市のみならず全米でディスコ・クラブが登場し、一般人が押し寄せるようになり、ヒットチャートの上位を独占するようになる。しかし粗製濫造された質の低いレコードや流行の一過、また中核を担ったゲイ音楽シーンがエイズにより壊滅的な被害を蒙ったことにより、ディスコ・クラブという形態は次第に姿を消す。
ディスコブームの終焉により再びアンダーグランドな物へと回帰し、現在のクラブ音楽へと変貌していく。
日本へと輸入されたディスコとはこのディスコ・ブームの時の白人大衆向けにコマーシャル化されたものであり、人妻や黒人音楽の要素は非常に薄いものだった。
このため日本ではディスコという言葉はかつての風俗としてのディスコと、現在のクラブ音楽の源流としてのディスコの二つの意味が存在している。
日本で1960年代にオープンした渋谷の「クレイジースポット」、新宿の「ジ・アザー」が日本国内のディスコとしては最初だとする説がある。
しかし一般的には、1968年に赤坂に出来た「ムゲン」「ビブロス」が日本でのディスコの最初のものといわれている。
当時、生バンド演奏にあわせてダンスを踊る人妻ゴーゴークラブや人妻ゴーゴー喫茶が流行しており、人妻ゴーゴーガール目当てに通う若者もいたが、それらの店とは一線を画して主に芸能人やモデル、富裕層や外国人客を主な客層としたことで、一気に時代を先んじた存在に上りつめた。
当時の「ムゲン」は、川端康成や三島由紀夫、三宅一生などの時代の先端を行くそうそうたるメンバーで賑わっていたという。
この頃は主に生バンドとレコードの両立で行われていたのが、1971年六本木にオープンした「メビウス」が、日本で最初にレコードのみで営業した店である。
これは生バンドの人件費を抑える為におこなった行為だったが、結果としては現在のディスコやクラブと同じくレコードのみのスタイルとなっている。
その後、ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の大ヒットをきっかけに、新宿、渋谷、上野、池袋などの繁華街に多数のディスコが開業し、夜遊びの趨勢は完全にディスコに移った。大勢の「ディスコでフィバる」(熱狂すること。現在では死語)若者を生んだ。